ユーモア失語症
それは中学一年の頃でした。それまでの僕は(自分で言うのもどうなの!ですが)、割とユーモアのある少年でした。クラスでは人気のある(というか目立っている)方でした。中一の二学期頃だったと思います。ある友達が原因でした。
後にも先にも、この男の子のせいで僕の人生はがらりと変わりました。その子というのは、言ってみれば目立ちたがりの出しゃばりというか・・・そんな人でした。そのくせ人の話を分かっているようで分かっていないユーモアの核心をとらえることができない、自分本位の性格だったのです。僕がクラスで(自分で言うのもなんですが)人気者だったので、それにあやかりたかったのでしょう、僕を独占しようとしたのです。
あるときです。クラスの中で、席替えをすることになりました。僕はあるいきさつで、その子のちょうど後ろの席に席が決まりました。僕の左隣りの席も、その子と似たようなセンスの少し気の強そうな女の子でした。その女の子の前の席には中一になって僕と仲良くなった女の子で(変な意味でなく)、僕がすっかり信用していた女の子でした。(どうやら、その女の子と先の男の子は、小学校時代から、仲が良かったようでした。)
この時ですね。僕が変な教訓めいたことを感じたのは。「自分の信頼している友達でもその友達は信用できない」ということをです。というのも、この女の子は性格もいたって普通で、ユーモアのセンスもあって、僕が言う面白めいたことを的確に感じ取ることができる能力がある女の子だったからです。
そして、結果的にこの三人に一日中囲まれる形になったのです。そう、僕のユーモアを理解してくれる人が四方八方いなくなってしまったのです。
中間テストだったか期末テストだったか忘れましたが(それがあって、たしか部活動もなかったと思います)、テスト勉強とかこつけて、その男の子の家に招かれ、数日間通うことになったのです。こうなるともう、その子の思うつぼです。その子漬けになり、自分の感情が殺されていきました。そして、数週間経った頃だったと思います。言葉が喋れないのです。実際には喋れるのですが、面白いことが言えないのです。思いつかないのです。それに加え、日常会話さえも成立しないのです。別の仲の良かった友達もたぶん、それを感じとっていたと思います。なんせ面白かったやつが面白くなくなってしまったのですから。急に。(勝手なもんで、喋れなくなってから先の男の子に「今度テストまた一緒に勉強しよう」と言うと「いや、いい。」と断られたのですから腹が立ちますね。)
それからしばらくしても言葉は元に戻ることはありませんでした。そして、中二、中三と悶々として、過ごしました。なまじ言葉が少しでも喋れる分、失語症とはされず、その後の中学生活は勢いで友達を作っていた気がします。だから、僕のことを嫌った人もいたでしょう。同時に感情も沸かなくなったので、少しの感情に身を任せ大人げない言動をしたこともありました(感情も枯渇していたのでしょう)。僕の行動を仕向ける感情の指針が無かったのだと思います。ここまでが、中学時代です。
高校受験は不思議とできたんですよね。勉強についての理解力は落ちてなかったようです。
そして、高校時代です。高一の時は・・・つらかったです。勢いで友達を作ろうとしては、避けられる。ということをしていました。でも不思議なことが起こったのです。(面白いことが)喋れないのに、ある一人の男の子とだけ、突然喋れるようになったのです。(人間の脳っておもしろいですね。夢でも見てるかのようなことって、起こるんですね。)その子と腹を割って喋れるようになったのは、そう、思い出してみますね。・・・確か、その男の子が僕の一方的で無礼な物言いに切れた、、、。そんなきっかけだった気がします。その瞬間(脳で何かが起こったのでしょう)突然面白いことが喋れるようになったのです。その人にだけ。
とても奇怪な経験でした。他の人とは相変わらず喋れないのに、その子と喋る時だけ、言ってみれば脳のスイッチが切り変わるんです。高一の残りの期間は、その子のおかげで、少しだけ楽しかったです。
そして、高二になりました。高二になると、その子とは違うクラスになってしまい、また喋れる人がいなくなってしまいました。そして、今度は強引に行かず、なるべくおとなしいキャラで通そうとしました。おとなしい人でも日常会話ぐらいはできるのが普通でしょうが、それすらも依然として、ままなりませんでした。そんな僕となんとかして、コミュニケーションをとろうとする人達に囲まれ、本来ならば恵まれた環境なのでしょうが、言葉が出ない僕には地獄でした。そんなとき、修学旅行がありました。強制的に四六時中、(喋れないのに)喋ることを強いられるのですからたまったもんじゃありませんでした。
ここまで読んで下さってありがとうございます。この後、この修学旅行がきっかけで、無謀なやり方で結果としては喋れるようになったのですが、大変危険な方法なので割愛します。ご要望があれば追記したいと思いますが、いまのところ保留とさせて頂きます。
胸が固まる
僕は小さなころから何か底知れぬ恐怖を漠然と感じていて、それは何なのか怖いながらも模索していました(それを恐怖と表現するべきかも分かりませんが)。その恐怖みたいなものを説明してみると。そうですね・・・、普通にしている時は何ともないものが、例えば高い所にいて、床に少し大きな穴があいている部屋に立っているとしましょう。そうすると、吸い寄されるようにその穴(恐怖の元凶)の所に自ら落ちに行ってしまうような心理状態が。よくありますよね、そんな事。そんな恐怖です。そんな心の、安定しているけど不安定な状態を子供ながらにいつか解決しようと思っていたのです。
話は高一の頃になりますが、それを実現しようと思ったのです。心が安定している時にです。どうやったかと言うと、何か真理になる言葉を唱えて、心が不安定な時でも安定するようにしたのです。そう、お経のような効果を狙っていたんだと思います。(真理っていうのも、よくある話で人間って真理を追求しようとするでしょう?それを唱えるのもよくある話。まるで宗教のお題目のようですね。)そして、それがエスカレートすると今度はわざと心を不安定にしてその言葉(呪文)を言って心を疑似的に落ち着かせるようになりました。そんな事は本末転倒ですね。(心を落ち着かせるために唱えるというのではなく、不安定にさせて、その言葉の真偽を確認しようとしていたのですから。)話を高二の頃に戻します。呪文のような物のもろさは当然の事でした。高二のあるとき、気づいてしまったのです。そんな物は嘘だと。それからはもう不安定どころじゃありませんでした。自分の依拠していた考えは土台のしっかりしたものでなく、噓の物だったのですから。本質を知ってしまったら、その足場が何にも支えられていない空気の階段みたいなもんで、心が超不安定になっていきました。それすら悪夢でしたが、追い打ちをかけるようにさらに悪いことが襲ってきました。心の中(胸のあたり)が固まってしまったように息苦しいのです。これは物理的な物でもあって前傾姿勢になると痛くて、苦しいのです。(本当に心って胸にあるんだなあと思いましたね。)
そして、高二の三学期ぐらいから大学受験勉強どころじゃありませんでした。成績も落ち、母に「高校だけは卒業しなさい」と言われて、かろうじて学校に行っていました。学校というのは勝手なもんで、成績が落ちて僕自身の風紀が乱れてもそれを僕個人のせいにしてひっくるめてしまうのですから。だいたいそんな事はビフォーアフターを見れば何かあったなと察せるだろうと思うのです。そんな僕に「遅刻してきたから反省文を書け」とお決まりのように言ってきて、さも自分たち先生方は正しいことをしているのだと言っているようでした。
そして高三は、不良ですね(なりきれていない)。高二の三学期の不安定からなんとか抜け出せたのは。そうですね・・・、思い込みの力ですね。「物があれば心は満たされる」と暗示をかけ、「そうだ、パソコンを買おう」と一念発起したのです。そしてバイトで返すのを前提に姉に借金をして、秋葉原まで行ってパソコンを買ったのです。我ながら、大した行動力だと今思うと感心してしまいます。そして、パソコンに執着する事で不安定を忘れることができました。(思い込みでも窮地を抜け出せたのだから事実でもあるかもしれません。)そしてかろうじて高校を卒業しました。
そして23歳まで特に何もしない言ってみれば、「ニート」でした。社会と接点が無かったせいかもしれませんが、常識の感覚がずれてきていたのでしょう。23歳の冬に気がふれて精神病院に入れられました。僕が入れられた部屋は特にそうでしたが、それこそ精神病院っていう感じで、壁はフローリングの床のような模様の殺風景で圧迫感のあるもので、すりガラス一枚で、かろうじて部屋を照らしていました。全身拘束され、もう人生は終わったなと思いましたね・・・。一か月弱その部屋で過ごしたと思います。次第に普通の患者さんがいる広間へ出入りさせてもらう事が、許させるようになりました。精神病院という事もあり、時々おかしな人もいましたが、慣れてくれば大したことありませんでした。(精神病の人と言っても別に怖いことはありません。何もしないでただ見てればいいのです。みんな変な目で見すぎるなと思います。)
病状も落ち着き、ある程度まともに考えることができるようになり、退院することになったのですが、まだ解決してない問題がありました。胸の中の固まりです。これには長いこと悩まされることになりました。前述のように前傾姿勢になると、苦しいし、痛いし。特に当時は朝起きた時、変な表現ですが、「心が寒い」と、そんな症状もありました。なんか心が剥き出しになった感覚でした。肺(肺胞)の隅々まで、空気が行ってない感覚もありました。そして苦し紛れに「はあはあ」と呼吸をしてみたりしたのですが、ちっともすっきりませんでした。その後、心臓や肺などの病院にも行きましたが、レントゲン、心電図での検査も異常なしと、打てる手は全部つくしました。
それから十年以上この状態がしばらく続くのですが、ふとした事から、それを解決する糸口が見つかったのです。その方法でここ5年ぐらいかけて胸の固まりが解けてきています。その方法もある意味危険なのでここでは触れませんが、ご要望があればまた、ここも追記したいと思います。
と、ここまでが僕の半生です。今はもう僕はいい大人ですが、ここまで、すごく長かった気がします。どうしてこのことを記事にしたかというと、ググっても僕のような経験談がぜんぜんなかったからです。たぶんこの記事の需要もそれほど多くないと思いますが、僕のような経験をした人には貴重なメッセージになると思っています。ここまで読んでくれてありがとうございました。
また会う日まで。ふふふ。
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